悪魔の誘いリスト
ISUZU 117 Courpe (いすゞ117クーペ) |
FIAT 500 (チンクチェント) |
悪魔の館1号室「FAQと旧車購入の心構え」 |
悪魔の館4号室「旧車のモディファイと改造」 |
旧車の愛し方は、主に「オリジナルにこだわる」人と「世界に一つだけ」という人とにわかれます。どちらが正しいなんてことはなく、人それぞれ楽しみ方が違うだけなんですよね。私自身がそれを最初に感じたのは、AX-7アルシオーネのヘッドライトの時でした。一度やってしまうとほかのクルマにあまりないアルシオーネの特徴であるエアサスまでも外すことにためらうことはありませんでした。赤チンの場合など、始めからもういったいどこがオリジナルでどこが改造してあるのかさえわかりません。塗装はもちろん、ボディーだって手が入っていますから、すでにオリジナルにこだわりようもありませんね。というわけで、わたしはどちらかといえば「世界に一つだけ」派ということになります。(この呼び方、オリジナルを崩してしまった言い訳っぽく聞こえてしまいますが、じっさいそのとうり、かも。)
オリジナルにこだわる、という点で面白いのはMINIをモディファイする人々です。MINIのモディファイにはいくつかの文法があるようで、近代的になったMINIをOld
MINIタイプにモディファイするというアレです。ドアミラーをフェンダーミラーに替え、近代的なコンソールパネルをセンターメーターに替え、エンブレムをMark1風に、といった具合です。自分が買ったMINIのオリジナルではないがMINIという長寿モデルのなかでのMINIオリジナルへとモディファイする。エンジンもボディも新品のままOld
MINI気分が味わえる。じつにうらやましいようでもありますが、けっこうヴィヴィオビストロや、ひところの日産パイクカー(パオやフィガロ、Be-1。ベースはマーチ)の発想と似てませんかね。
壊れないんです。基本的に。だからこそ、MINIは敷居が低く奥が深い。わたしはMINIが大好きだけれども、購入する気にならないのはこれが原因かもしれません。いまだに新車が買えるという事実もわたしにMINIを選択させません。(これはFIAT
PANDAも同じ)でも、もうすぐ新車で買え無くなるんですよね。その時になって初めてMINIのオリジナルとは何かということが問われるのでしょう。
一方で、世に言う「走り屋」さんたちは、新車で購入した(多くは)FRスポーツを改造し、モディファイし、壊れないはずのエンジンを壊れるまで回し、ガードレールに刺さったりしながらクルマをどんどん壊していく。いいクルマなのにねぇ。ぶっといマフラーの大音響をとどろかせ、タイヤのスキール音を響かせながら夜な夜な腕を競う。無改造で走っても十分速いし十分かっこいいと思うんだけどなぁ。
NAVIで「大きなリアウィングは男性シンボルの象徴」って話があったけど、(首都高で300km/時なんてのは別にして)わたしも最近はそういう人たちは正しいんじゃないかと感じています。”最近は”ってことは、ずっと正しくないと思ってたわけです。それはそういう種類のクルマに乗っているドライバーのマナーが良くないことが多いからです。(他人には騒音でしかない)爆音とどろかせてゆっくり走っているファミリーカーを後ろからあおりパッシングを浴びせ、ガンガン割り込んでくる。自分では個性的だと思っているだろう下品なモディファイも画一的でオリジナリティに欠けているし。
それでも、正しいんじゃないかと思う理由とは?
みんな、既製品では我慢できなくなってるんですね。人と同じクルマに乗るのは嫌ですものね。逆に同じ車種に乗っている人と仲良くしたりする現象もありますが。なにも今に始まったことではないですが、ハコスカもケンメリも、シャコタンが流行ってたりと、けっこう以前からある話ですものね。